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COLUMN
2025.06.13
コラム

【アルツハイマー病】自己脂肪由来幹細胞を用いた最新治療

アルツハイマー型認知症とは(従来治療の限界)

認知症とは脳の神経細胞がゆっくりと壊れていき、記憶力や判断力などが低下する病気の総称です。その中で最も多い種類がアルツハイマー型認知症(アルツハイマー病)で、全認知症の約7割を占めます。アルツハイマー病では脳内にアミロイドβタンパクというゴミのような物質が蓄積し、神経細胞にタウたんぱく質のもつれが生じて、神経細胞の死滅と脳萎縮を引き起こします。その結果、物忘れから始まり徐々に理解力や日常生活動作が困難になる、進行性の病気です。

現在アルツハイマー病に対して用いられている治療薬は、症状を和らげることを目的としたものが中心です。代表的な薬剤にはコリンエステラーゼ阻害薬(ドネペジルなど)やNMDA受容体拮抗薬(メマンチン)があります。これらは記憶障害や認知機能の低下を一時的に改善したり進行を遅らせたりしますが、病気そのものを根本的に治すものではありません。また近年、原因物質とされるアミロイドβを除去する抗体医薬(レカネマブなど)が開発され、一部で症状進行をわずかに遅らせる効果が報告されました。しかし、これらの新薬も完全な治癒には至らず、脳のむくみや出血(ARIAと呼ばれる副作用)など安全性の問題もあります。したがって「認知症を根本から食い止める治療」は未だ存在せず、新たなアプローチが模索されています。

幹細胞治療が注目される理由

このような背景から、近年幹細胞治療(再生医療)がアルツハイマー病の新たな治療法として注目されています。幹細胞とは体の様々な細胞に育つことができる特殊な細胞で、傷ついた組織を修復したり再生させたりする能力を持ちます。特に間葉系幹細胞と呼ばれる種類の幹細胞は、脳を含めた全身で修復や保護に働くことが期待されています。アルツハイマー病において幹細胞治療が期待される主な理由は以下のとおりです。

  • 神経の保護(ニューロプロテクション): 幹細胞は脳内で神経を保護・再生する作用を持つと考えられています。例えば成長因子(神経を育てる物質)を放出し、残存している神経細胞を守ったり、新しい神経細胞やシナプス(神経同士のつながり)の形成を促したりします。これにより記憶や学習機能の維持に寄与する可能性があります。
  • 炎症の抑制(抗炎症効果): アルツハイマー病の脳では慢性的な炎症が起きており、それが神経細胞の障害を悪化させています。幹細胞は抗炎症サイトカイン(炎症を抑える物質)を出し、過剰な炎症反応を鎮めます。具体的には、体を守る免疫細胞の働きを調整し、炎症を引き起こす物質(TNF-αやIL-1βなど)を減らし、逆に炎症を抑える物質(IL-10など)を増やす作用が報告されています。これによって脳の炎症環境が改善し、神経細胞へのダメージを和らげると考えられます。
  • 免疫の調整(免疫調節効果): 幹細胞は免疫系にも働きかけます。アルツハイマー病では、脳内のミクログリアという免疫担当細胞が過剰に活性化し、かえって神経を傷つけることがあります。幹細胞はこのミクログリアの状態を正常に戻し、有害な自己免疫反応を抑制します。さらに幹細胞自体は免疫から攻撃されにくい特徴(免疫特権性)も持ち合わせており、体内で拒絶反応を起こしにくいことも利点です。
  • アミロイドβ除去・脳内環境の改善: 幹細胞治療はアルツハイマー病の原因物質であるアミロイドβの蓄積を減らす効果も期待されています。実験では、幹細胞がアミロイドβを除去する酵素を分泌したり、ミクログリアにアミロイドβを処理させる働きを高めたりすることが示唆されています。その結果、脳内のアミロイド斑(プラーク)が減少したとの報告もあります。また幹細胞は酸化ストレスを軽減し、血流を改善するなど脳内環境を整える作用も報告されています。これら多面的な効果により、幹細胞治療はアルツハイマー病の進行を食い止めたり症状を改善したりする総合的なアプローチとなり得るのです。

以上のように、幹細胞治療は神経保護、抗炎症、免疫調整、そして病因物質の除去という複数の角度からアルツハイマー病に働きかけるため、有望な治療法として研究者や臨床医の関心を集めています。

自己脂肪由来幹細胞(ADSC)の特徴と安全性

幹細胞と言っても、その種類や由来は様々です。アルツハイマー病の治療研究で特に注目されているのが、自己脂肪由来幹細胞(ADSC: adipose-derived stem cell)です。これは患者様ご自身の脂肪組織から採取できる幹細胞のことで、太ももやお腹の皮下脂肪に含まれる間葉系幹細胞が該当します。以下では、自己脂肪由来幹細胞の特徴や利点、安全性について説明します。

  1. 患者様自身の細胞を利用: 自己脂肪由来幹細胞はご本人の体から採取するため、遺伝子的にもご自身と同じです。その結果、体に戻したときに拒絶反応(免疫による排除)が起こりにくく、免疫抑制剤などの強い薬を使わずに治療できる可能性があります。他人由来の細胞(同種幹細胞)を使う場合に比べて、安全面で有利といえます。
  2. 採取が比較的容易: 脂肪組織は骨髄など他の組織と比べて比較的容易に採取できます。例えば骨髄幹細胞を取るには全身麻酔で骨に針を刺す必要がありますが、脂肪からであれば局所麻酔下での脂肪吸引で済みます。しかも脂肪には幹細胞が豊富に含まれており、少量の脂肪から大量の幹細胞を得ることも可能です。実際、脂肪1gあたりの幹細胞数は骨髄1gより多いことが知られており、「宝の山」とも表現されます。
  3. 培養増殖と質の安定性: 脂肪由来幹細胞は実験室で増やしやすいという利点もあります。脂肪から取り出した幹細胞は、培養下で数週間かけて数を増やすことができます。十分な数が確保できれば、将来的には患者様ご自身の細胞をバンクに保存し、必要なときに使うといったことも可能になるかもしれません。また、増やした細胞は比較的一定の品質を保ちやすいとされ、治療効果のばらつきが少ないことも期待されています。さらに、間葉系幹細胞はがん化しにくい(腫瘍化のリスクが低い)ことも動物実験などから確認されています。
  4. 倫理的な問題が少ない: 胚から作る幹細胞(ES細胞)や他人の組織から採る幹細胞とは異なり、患者様自身の脂肪を利用する方法は倫理的なハードルが低いです。他人の受精卵などを壊して作る必要もなく、ご自身の組織を用いるためドナーの負担もありません。この点でも実用化しやすいアプローチと言えます。

以上の理由から、自己脂肪由来幹細胞(ADSC)はアルツハイマー病の再生医療で有望視されているのです。実際に現在進行中の臨床研究の中にも、ADSCを使ったものが数多く含まれています。安全性に関しても、これまで報告された初期の試験では深刻な問題は確認されていません。例えば、アルツハイマー病患者さんにADSCを投与した初期の研究では大きな副作用はなく安全に実施できたとの結果が報告されています。副作用として報告されているものは、注射部位の頭痛や一時的な発熱など軽微なものが中心で、重大な合併症は今のところ認められていません。もっとも、治療法が新しいため長期的な安全性は今後もしっかりと経過を追う必要がありますが、少なくとも現時点のデータでは安全に実施可能と考えられています。

投与方法(静脈点滴・髄腔内注射)と治療の流れ

脂肪由来幹細胞を用いた治療を行う場合、どのように細胞を体内に戻すのでしょうか。大きく分けて静脈点滴による方法と、髄腔内注射(ずいくうないちゅうしゃ)による方法があります。それぞれの特徴と治療の流れについて説明します。

  • 静脈点滴法: 採取・培養した幹細胞を点滴で静脈から注入する方法です。点滴により幹細胞を全身の血液に乗せて送り出し、一部の細胞が脳に到達して効果を発揮すると期待されます。静脈からの投与は患者様の身体的負担が少なく、外来でも比較的簡単に実施できる利点があります。実際の流れとしては、まず腹部などから脂肪を数十cc程度採取します(局所麻酔下で行う小規模な脂肪吸引です)。その脂肪から幹細胞を分離・培養し、所定の数まで増やします。準備が整ったら、幹細胞を含む点滴液を数十分かけて腕の静脈から体内に戻します。処置自体は通常日帰りまたは一泊程度の入院で行われ、点滴後はしばらく安静にした上で帰宅できます。静脈投与された幹細胞は肺など体中を巡りながら、一部が脳に移行してダメージを受けた組織で作用すると考えられています。ただし多くの細胞は肺や他の臓器で捕捉されてしまうため、効果を発揮する細胞が十分に脳まで届くかが課題です。
  • 髄腔内注射法: 脊髄のクモ膜下腔(せきずいのくもまくかくう)、いわゆる腰部から針を刺して脳脊髄液が流れる空間に幹細胞を注入する方法です。これは腰椎穿刺(ようついせんし)と呼ばれる手技で、検査で髄液を採るときと同様のやり方で行います。髄腔内に直接幹細胞を入れることで、細胞をより脳に近い場所に届ける狙いがあります。点滴に比べると侵襲はやや高いですが、全身麻酔は不要で局所麻酔下で行うことができます。治療の流れは、静脈点滴法と同様にまず脂肪採取と幹細胞の準備を行います。そして投与時には患者様は横向きに寝て腰を丸めた姿勢をとり、消毒後に極細の針を背中の下部(腰のあたり)から刺して脳脊髄液の空間に幹細胞液を注入します。注射時間自体は数分程度で、その後数時間安静にした後に帰宅可能です。髄腔内投与は脳にダイレクトに細胞を届けられる反面、頭痛や一時的なめまいなど腰椎穿刺特有の副作用が起きることがあります。また高度な技術を要するため、現状では臨床研究の場で専門医が慎重に実施しています。髄腔内への投与と似た方法として、脳の中にある脳室という場所に細胞を入れる試みもあります。こちらは頭皮から細いチューブを挿入して行う方法で、一部の研究で安全に行えることが示されています。しかし侵襲が大きいため、現時点では脳室内投与は限られた試験のみで、より簡便な髄腔内(腰部)からの投与が主流になりつつあります。

治療スケジュール: 幹細胞治療は一度きりではなく、複数回にわたり投与するケースが多いです。アルツハイマー病は慢性的な病気であるため、定期的に幹細胞を補給して効果を持続させる狙いがあります。臨床研究では、例えば数週間~数ヶ月おきに合計数回の投与を行うプロトコルが試みられています。具体例を挙げると、ある研究では3週間ごとに9回の静脈点滴を行ったケースや、月1回のペースで計4回の点滴を行ったケースがあります。髄腔内投与でも複数回実施する計画の試験が報告されています。今後、最適な投与回数や期間についてはさらなる検証が必要ですが、現在のところ繰り返し投与する方針で治療研究が進められています。

アルツハイマー病に対する臨床研究の現状と文献紹介

脂肪由来幹細胞を用いたアルツハイマー病治療はまだ保険診療として確立されたものではなく、世界各地で臨床研究(治験)が行われている段階です。動物実験では既に有望な結果が報告されており、それを受けて少人数の患者様を対象にした安全性試験や予備的な有効性検証が進められてきました。以下に代表的な研究例や臨床試験の結果をご紹介します。

前臨床研究(動物実験): マウスなどモデル動物を使った研究では、幹細胞治療がアルツハイマー病による障害を改善する多くの証拠が得られています。例えば、アルツハイマー病モデルマウスの頸動脈にヒトの間葉系幹細胞を注入した実験では、幹細胞が脳内に取り込まれてアミロイドβの蓄積が減り、ミクログリアが活性化されて老廃物の除去が促進されました。その結果、認知機能テスト(迷路試験など)でマウスの記憶・学習能力が改善しています。他の研究でも、幹細胞によって脳内の酸化ストレスが軽減し神経新生(新たな神経の発生)が促されることで、認知機能が向上したと報告されています。これら動物レベルの成果が、人間のアルツハイマー病患者様にも応用できる可能性を示す重要な根拠となりました。

初期の臨床試験(安全性試験): 幹細胞治療の安全性と実施可能性を確認するため、まずは少人数のアルツハイマー病患者様を対象にした第I相臨床試験が行われました。例えば2015年に韓国で行われた研究では、軽度~中等度アルツハイマー病の患者9名に対し、臍帯由来の間葉系幹細胞を脳の海馬という部位に直接注入する試みがなされました。このフェーズ1試験では24ヶ月間の長期追跡でも深刻な副作用は生じず、安全に手技を行えることが示されています。患者様の中には一時的に傷口の痛みや頭痛などが見られましたが、いずれも一過性であり、投与に伴う重大な有害事象(脳炎や感染症など)は報告されませんでした。「脳内への幹細胞投与が現実的に可能であり安全である」というこの結果は、その後の研究の道を拓いたと言えます。

また2019年には、アメリカなどで自己脂肪由来幹細胞(ADSC)の脳室内投与に関する画期的な報告が出されました。この研究ではアルツハイマー病を含む神経疾患の患者計31名(うちアルツハイマー病患者10名)に対し、頭蓋内の脳室という空間にADSCを最大8回まで注入し、3年間にわたる安全性と予備効果を追跡しました。結果、重篤な副作用は発生せず、一部の患者様では投与後に認知機能の安定化あるいは改善が認められました。

具体的には、10名中8名のアルツハイマー病患者様で進行の抑制もしくは記憶スコアの向上がみられ、さらに脳脊髄液中のアミロイドβやタウたんぱくの量が減少した例も報告されています。これは幹細胞が脳内環境を改善し疾患の進行を食い止めた可能性を示唆する結果であり、非常に注目されました。この試験はあくまで少数例での予備的なものですが、アルツハイマー病に対するADSC療法の安全性と潜在的有効性を裏付けるエビデンスとなっています。

さらに進んだ臨床試験(有効性の検証): 安全性が確認されると、次の段階としてもう少し多くの患者様で効果を検証する試験が行われ始めました。アメリカではLomecel-Bと呼ばれる他家由来(ドナー提供)の骨髄幹細胞製剤を用いた臨床試験が行われました。この製剤そのものは脂肪由来ではありませんが、同じ間葉系幹細胞による治療として参考になります。

2023年に報告された第I相試験では、軽度アルツハイマー病患者に対する静脈点滴での幹細胞投与が試みられ、安全性の確認とともに予備的な効果が検討されました。結果、重大な副作用はなく安全であることが確認されただけでなく、幹細胞を投与された群で認知機能テストのスコアや脳の画像所見がプラセボ群より良好な傾向が報告されました。特に海馬(記憶を司る脳の部位)の萎縮進行が遅く、日常生活動作の低下が抑えられたとのデータが示され、これは幹細胞が脳の萎縮や神経変性を遅らせた可能性を示唆します。ただし、この試験も少人数で主要評価項目では統計的有意差に達しなかったため、現在さらなる大規模試験が計画されています。

そして最新の話題として、2025年にNature Medicine誌に掲載された画期的な試験結果があります。全米の10医療機関が参加した多施設共同第II相試験で、Laromestrocelという骨髄由来幹細胞製剤(Lomecel-Bの新名称)が軽度アルツハイマー病に対して試験されました。約50名の患者様を対象に、プラセボ(偽薬)と少量投与・高容量投与など複数の幹細胞投与群を比較したこの試験では、安全性の主要目標を達成するとともに、幹細胞を投与された群で症状の進行がいくらか緩やかになる兆候が報告されました。

具体的には、治療開始から約9か月後に認知機能の総合評価スコアでプラセボ群より良い結果を示し、また脳全体の萎縮速度がプラセボ群より有意に約50%低減したというのです。海馬容積の減少も60%以上抑制され、炎症の指標となるMRI画像の変化も改善傾向を示しました。このように脳萎縮の進行抑制や認知機能低下の抑制が示唆されたのは非常に有望であり、幹細胞治療の有効性を支持するエビデンスとして注目されています。研究チームは「より規模の大きい臨床試験で効果を確認すべき」と結論づけており、今後の展開に期待が高まります。

以上のように、初期の臨床研究では概ね安全性が高く、一部では認知機能やバイオマーカーの改善といった希望の持てる結果が報告され始めています。ただし現時点では研究段階であり、明確な治療効果が証明されたとは言えません。複数の論文を総合すると、「幹細胞治療はアルツハイマー病患者に十分耐容可能(副作用が少ない)で、症状や検査データに好影響を与える可能性が示された。しかし症例数が少なく対照試験もまだ限られているため、確実な結論を得るには今後さらなる大規模試験が必要」という状況です。研究は着実に前進しており、日々新しい知見が蓄積されています。

現在の課題と今後の展望

幹細胞治療はアルツハイマー病に対して大きな希望を与えてくれますが、実用化に向けて解決すべき課題も残されています。

  • エビデンス(科学的証拠)の蓄積: 先述のとおり、これまでの臨床試験は患者数が少なく、効果を統計学的に証明するには力不足でした。今後は数百人規模の大規模ランダム化比較試験を行い、幹細胞治療が本当に症状の進行を抑えるのか、生活機能を改善するのかといった点を明らかにする必要があります。幸い海外では既にフェーズII~III試験が計画・進行中であり、数年以内にはより確かなデータが得られる見通しです。
  • 最適な治療プロトコルの確立: 幹細胞の投与経路(静脈か髄腔内か)、投与回数や間隔、投与細胞数など、治療プロトコルの最適化も課題です。例えば「どのくらいの細胞を」「どれくらいの頻度で」入れるのが最も効果的かはまだ分かっていません。動物実験や初期臨床の知見をもとに、今後比較試験で最適条件が検証されていくでしょう。またどの病期の患者様に有効か(軽度のうちが良いのか、中等度でも効果があるのか)も重要なポイントです。一般に再生医療は早期に行うほど効果が高いと考えられるため、軽度認知障害(MCI)段階での介入なども検討が必要です。
  • 作用メカニズムの解明: 幹細胞がなぜアルツハイマー病に効くのか、その詳細なメカニズムはまだ完全には解明されていません。移植した幹細胞が神経に直接置き換わっているのか、あるいは分泌する物質が周囲の組織を変化させているのか(パラクライン効果)、どの働きが主に寄与しているのかなど、研究途上です。メカニズムが分かれば効率的な改良も可能になるため、基礎研究の深化が望まれます。
  • 費用の問題: 幹細胞治療は現状では保険適用外の自費治療または臨床研究として提供されており、費用が高額になる傾向があります。採脂から培養、投与まで高度な設備と人員が必要なためですが、今後技術革新や標準化でコストが下がることが期待されます。医療経済的な課題も、広く普及するためにはクリアすべきポイントです。

こうした課題に取り組みつつ、将来の展望としてはいくつかの明るい可能性が見えています。まず、幹細胞が分泌するエクソソーム(細胞外小胞)や成長因子だけを利用する方法が研究されています。これにより細胞そのものを移植せずとも効果を得られるかもしれず、より安全で手軽な治療につながる可能性があります。また、幹細胞に遺伝子操作を施してアミロイドβ分解酵素を大量に作らせるなど、強化型の細胞治療も開発途上です。将来的には、幹細胞治療が他の治療法(薬物療法やリハビリ等)と組み合わせて用いられ、アルツハイマー病に対する包括的な治療戦略の一部となることも考えられます。

幹細胞治療はまだ研究の途上ですが、そのポテンシャルの大きさから「次世代の認知症治療」として大いに期待されています。現在も世界中で研究が加速しており、いくつかの治験が成功すれば近い将来に承認治療となる可能性もあります。患者様・ご家族にとって希望となるニュースが増えるよう、今後の研究の進展が待たれます。

治療を検討する患者様への注意点

最後に、自己脂肪由来幹細胞を用いた治療を受けたいとお考えの患者様・ご家族向けに、知っておいていただきたいポイントをまとめます。

  • 現時点では標準治療ではない: 幹細胞治療はまだ研究段階の医療です。一般の病院で確立された治療法として受けられるものではなく、臨床研究(治験)に参加するか、自費診療を行う限られた専門クリニックで提供されているに過ぎません。インターネット上で「幹細胞で認知症が治る」といった宣伝を見かけることがありますが、現状でその効果は確立されていません。安易な宣伝文句を鵜呑みにせず、まずは主治医にご相談ください。
  • 効果には個人差がある: 幹細胞治療は万能薬ではなく、全ての患者様に劇的に効く保証はありません。現在の知見では「進行を遅らせる」「一時的にわずかに改善する」程度の効果が期待される段階です。また、同じ治療を受けても効果の現れ方には個人差があります。中には残念ながら効果が見られないケースもあります。そのため「必ず治る」と過度に期待しすぎないことが大切です。一方で効果がない場合でも副作用が少ないのが幹細胞治療の利点であり、安全に試みやすいことは確かです。
  • 費用: 臨床研究以外で幹細胞治療を受ける場合、日本では自由診療となり高額な費用がかかる可能性があります。施設にもよりますが、数百万円規模の負担となるケースも報告されています。また海外で治療を受ける選択肢もありますが、言語・移動のハードルや医療体制の違いも考慮しなければなりません。費用対効果やご本人の体力面など、現実的な面をよく検討する必要があります。
  • 現在の治療を継続する: 幹細胞治療を検討する場合でも、今受けている標準治療を勝手に中断しないことが重要です。コリンエステラーゼ阻害薬やリハビリテーションなど、現行の治療やケアはエVIDENCEに基づくものであり、病状の安定に寄与します。幹細胞治療はそれらの代替ではなく補完的な位置づけと考え、主治医とよく相談しながら検討してください。
  • 信頼できる医療機関で受ける: 幹細胞治療は高度な医療技術を要します。厚生労働省に届け出のない無許可の施設や、科学的根拠が乏しい治療を高額で提供するような悪質なケースも世の中には存在します。必ず実績のある信頼できる医療機関で説明を受け、納得した上で治療を受けましょう。疑問や不安があれば遠慮なく医師に質問し、インフォームドコンセント(十分な説明と同意)のもとに進めることが大切です。

以上、自己脂肪由来幹細胞を用いたアルツハイマー病治療について、その概要と最新の知見をまとめました。現在は研究途上の段階ですが、安全性はおおむね確認されつつあり、徐々に効果の可能性も見えてきています。今後さらなる研究が進めば、認知症治療の選択肢として現実のものとなる日が来るかもしれません。一日も早く確立した治療法となり、患者様とご家族の負担を軽減できることが望まれます。

よくある質問(FAQ)

Q1. 自己脂肪由来幹細胞でアルツハイマー病の記憶力が改善することはありますか?
A. 現時点では記憶力の劇的な回復は難しいとされていますが、一部の研究では症状の進行を遅らせたり、軽度の認知機能改善を示したケースがあります。

Q2. 幹細胞治療を早期に始めれば、認知症の進行を止められますか?
A. 進行を完全に止められるかはまだ不明ですが、軽度認知障害(MCI)や軽度アルツハイマー病の段階で治療を始めると、より良い効果が期待できる可能性があります。

Q3. 脳に直接幹細胞を注射する治療法は痛みや危険性がありますか?
A. 髄腔内投与(腰椎穿刺)は局所麻酔下で行われ、処置中の痛みはほとんどありません。ただし処置後、一時的に軽度の頭痛やめまいが出ることがあります。

Q4. 幹細胞の静脈点滴で、本当に脳に効果が届くのでしょうか?
A. 幹細胞の多くは肺や他臓器で捕捉されますが、一部は脳に到達し作用すると考えられています。また幹細胞が出す有効成分が血流を介して脳に届くことで間接的な効果が期待されます。

Q5. 幹細胞治療後に認知症の薬は減らすことができますか?
A. 現状では標準的な認知症治療薬を中止または減量できるという確実なデータはありません。薬剤の調整については必ず主治医と相談してください。

Q6. 幹細胞治療で改善が見られない場合、繰り返し行う価値はありますか?
A. 治療を繰り返すことで徐々に効果が現れる可能性がありますが、反応には個人差があります。主治医とよく相談して判断しましょう。

Q7. 治療後どのくらい効果が持続しますか?
A. 初期の研究では1年程度の効果持続が報告されていますが、長期的な効果については現在研究中です。

Q8. 治療を受ける年齢制限はありますか?
A. 厳密な年齢制限はありませんが、比較的若く軽度の段階で治療を受けた方が効果が出やすいと推測されています。

Q9. 幹細胞治療で脳の萎縮が元に戻ることはありますか?
A. 脳の萎縮を完全に元通りにするのは困難ですが、一部の研究では萎縮の進行を遅らせる効果が報告されています。

Q10. 家族に認知症患者がいますが、予防目的で幹細胞治療を受けるのは有効ですか?
A. 現在のところ予防目的の効果は明らかではありません。リスクや費用面を考慮し、慎重に検討してください。

参考文献(バンクーバー式)
1. Kim HJ, Seo SW, Chang JW, et al. Stereotactic brain injection of human umbilical cord blood mesenchymal stem cells in patients with Alzheimer’s disease dementia: A phase 1 clinical trial. Alzheimers Dement (N Y). 2015;1(2):95-102.
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3. Brody M, Agronin M, Herskowitz BJ, et al. Results and insights from a phase I clinical trial of Lomecel-B for Alzheimer’s disease. Alzheimers Dement. 2023;19(1):261-73.
4. Rash BG, Ramdas KN, Agafonova N, et al. Allogeneic mesenchymal stem cell therapy with laromestrocel in mild Alzheimer’s disease: a randomized controlled phase 2a trial. Nat Med. 2025;31(6):1257-1266
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執筆者

若林雄一

若林 雄一

セルグランクリニック 院長

医学博士
アメリカ再生医療学会専門医
放射線診断専門医
核医学専門医

【略歴】                                        
アメリカ再生医療学会認定専門医資格を有し、神戸大学病院やアメリカ国立衛生研究所(NIH)で培った経験を基に、患者様一人ひとりのニーズに応じたオーダーメイド医療を提供しています。

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