自己の脂肪から採取した幹細胞を使う「自己脂肪由来幹細胞治療」は、再生医療やアンチエイジング分野で注目を集めています。しかし、幹細胞治療が癌に与える影響については、「癌(がん)を治療する助けになるのか? それとも残存する癌細胞の増殖を促進して再発リスクを高めてしまうのか?」という重要な疑問があります。
本コラムでは、自己脂肪由来幹細胞(脂肪幹細胞)による再生医療と癌との関係について、現時点での医学的知見をわかりやすく解説します。基礎研究(細胞レベル・動物モデル)や人間での臨床データから、効果や作用機序、安全性エビデンスを探り、がんサバイバー(がんの治療を終えた方)の方が幹細胞治療を検討する際のポイントや適切な時期についても述べます。
この記事は医学論文や専門家の知見に基づき、高い信頼性のある情報をまとめています(引用文献は信頼性の高い英語文献から選定し、インパクトファクターが高い雑誌や症例数の多い研究を優先しています)。専門用語もできるだけ平易に説明し、省略せずに記載しています。それでは、脂肪幹細胞治療と癌の関係について、一緒に見ていきましょう。

自己脂肪由来幹細胞治療とは?
自己脂肪由来幹細胞治療とは、自分自身の脂肪組織から幹細胞を採取・培養し、治療目的で体内に戻す再生医療の一種です。脂肪には血管周囲に存在する間葉系幹細胞(Mesenchymal Stem Cells, MSCs)が多く含まれており、
これを「脂肪幹細胞」あるいは「脂肪由来幹細胞(Adipose-Derived Stem Cells, ADSCs)」と呼びます[1][2]。例えば下腹部や太ももから脂肪を少量採取し、そこから幹細胞を分離・濃縮して点滴静脈注射や患部への注射で体内に戻す、といった手法が行われます。この治療は自己細胞を用いるため拒絶反応が起きにくく、また脂肪吸引の技術発達により比較的小さな負担で多くの幹細胞を得られる点が利点です[3][4]。
脂肪由来幹細胞は、多分化能(様々な組織の細胞に分化できる能力)とパラクリン作用(周囲に成長因子やサイトカインを放出し組織の修復を促す作用)、免疫調節作用を持っています[5][6]。そのため、組織の損傷修復や再生医療の分野で幅広く研究・応用されています。
実際に脂肪幹細胞を使った治療は、難治性の傷や潰瘍の治癒促進、放射線治療後の組織障害の改善、変形性関節症の痛み軽減、さらには美容・アンチエイジング目的(肌の再生や乳房の再建等)で行われるケースもあります[3][7]。特に豊胸や乳がん手術後の乳房再建では、脂肪注入(脂肪移植)という形で脂肪組織とともに幹細胞を移植するセルアシスト脂肪移植(CAL法)が登場し、定着率の向上に寄与すると期待されています[8][9]。
以上のように魅力的な脂肪幹細胞治療ですが、一方で「癌患者や癌サバイバーに対して安全に使えるのか?」という懸念が指摘されています[2]。幹細胞の増殖・再生能力が“両刃の剣”となり、癌細胞の増殖まで助けてしまうのではないかという心配です。本題に入る前に、まず脂肪由来幹細胞が持つ癌への「効く」「促進する」の両面の可能性と、その作用メカニズムについて整理しましょう。
幹細胞治療が癌に与える影響:効果とリスク
2-1. 癌に効く可能性(抗がん効果)のメカニズム
一部の研究では、脂肪由来幹細胞が抗がん効果を示す可能性も示唆されています。幹細胞は損傷組織を修復する「体内の救急隊員」のような存在で、炎症を抑え免疫を調整する物質を分泌したり、組織の再生を促進したりします[6][10]。例えば、幹細胞が放出するサイトカインやエクソソームにはアポトーシス(細胞死)を誘導する因子や、血管新生を抑える因子が含まれ、癌細胞の生存を阻害する可能性があります[11]。
実際、脂肪幹細胞が乳がん細胞に対して抗アポトーシス遺伝子の発現を抑制し、癌細胞が自滅しやすくなったとの報告もあります[11]。また、脂肪幹細胞を培養した培地(いわゆる幹細胞の「分泌液」)が癌細胞の増殖を抑制したという実験もあり、これは幹細胞が何らかの腫瘍抑制シグナルを出している可能性を示唆します[12]。
さらに、幹細胞は腫瘍のある部位に集まる性質(ホーミング効果)を持つことが知られており[13]、この性質を利用して抗がん剤や遺伝子治療の運び手として使う試みも行われています[14]。言い換えれば、幹細胞は体の中で「癌の場所を嗅ぎ分けて集まる案内役」になり得るため、これに治療用の遺伝子や薬剤を搭載すれば癌組織にピンポイントで治療を届けられるというアイデアです[14]。
実際に、脂肪由来MSCに抗腫瘍物質を発現させて腫瘍に送り込み、腫瘍の縮小効果を上げた研究も報告されています[14]。このように工夫次第では、脂肪幹細胞は癌治療の補助的な兵器として“がんと戦う味方”になり得ます。

2-2. 癌を促進する可能性(腫瘍促進)のメカニズム
しかし一方で、多くの研究や専門家は脂肪幹細胞が癌を促進するリスクに注目しています。そのメカニズムとして有力なのは、幹細胞が持つ創傷治癒や組織再生を助ける作用が裏目に出るという考え方です。幹細胞は傷を治す際に血管新生(新しい血管を作る)や細胞増殖を促す物質を出しますが、これが癌にとっては栄養補給や増殖支援になってしまう可能性があります[15][16]。
実際、脂肪幹細胞は肝細胞増殖因子(HGF)や血管内皮増殖因子(VEGF)など腫瘍を刺激しうる成分を分泌することが知られています[15]。特にHGFとその受容体c-Metのシグナル経路は、脂肪幹細胞と乳がん細胞のクロストーク(相互作用)において癌細胞の移動・浸潤を強め、血管新生を促してしまうことが実験で示されています[15][16]。言い換えれば、脂肪幹細胞は「怪我の治療」のつもりで出した成長因子が、近くに潜む癌細胞にとっての「栄養ドリンク」になってしまう恐れがあるのです。
また、脂肪幹細胞は免疫を抑制する効果も持ちます[17]。通常、免疫細胞は体内をパトロールして癌細胞を監視・攻撃していますが、幹細胞治療で免疫反応が鎮静化しすぎると癌に対する免疫監視が弱まる可能性があります。さらに、幹細胞自体が腫瘍組織に取り込まれて癌関連の線維芽細胞(CAF)のような存在になることも報告されています[18]。
脂肪幹細胞が腫瘍の中に入り込み腫瘍の足場(微小環境)を整えるストローマを形成したり、炎症性サイトカインをまき散らして慢性的な炎症環境を作ることで、結果的に腫瘍の成長・転移を後押しするのです[18]。具体的には、MSC(脂肪幹細胞を含む間葉系幹細胞)は腫瘍中で繊維組織を形成し癌細胞の足場と栄養を提供したり、CXCL2/CXCR2などのケモカインを分泌して癌細胞の遊走(動き)を促進することが示唆されています[18]。これらの作用により、幹細胞は善意で傷を治す「助っ人」のはずが、知らぬ間に癌に加担する「影のサポーター」になりかねないというわけです。
もう一つ重要な点は、脂肪幹細胞それ自体が腫瘍化する可能性です。ただし現在の知見では、自己の脂肪由来幹細胞が体内に戻されたあと、それ自体が勝手に癌化する明確な証拠は示されていません[19]。研究では、正常な乳腺細胞に脂肪幹細胞を混ぜても新たな腫瘍を作り出すことはなく、脂肪幹細胞そのものは腫瘍を新生しないと報告されています[20]。
つまりリスクとして現実的なのは、幹細胞そのものより幹細胞が既存の癌細胞に与える影響です。特に、体内にまだ微小ながん細胞が残っている場合には要注意で、脂肪幹細胞治療がそれらの「眠っている癌」を目覚めさせ、増殖を促してしまうリスクが懸念されています。
以上をまとめると、脂肪幹細胞治療は諸刃の剣です。プラスの効果としては組織修復や免疫調整による癌抑制の可能性があり得る一方、マイナスの効果としては成長因子供給や免疫抑制・炎症促進による癌促進のリスクがあります。
では実際の実験や臨床の場では、どちらの側面が強く現れているのでしょうか? 次章ではまず基礎研究の結果を、続いて臨床データを確認してみましょう。
基礎研究から見た脂肪幹細胞と癌
顕微鏡レベルの培養細胞実験やマウスなど動物モデルの基礎研究では、脂肪幹細胞と癌細胞の相互作用について多くのデータが蓄積されています。総じて言えば、「条件次第で良くも悪くもなる」という複雑な結果が得られています。
まず癌促進的な結果から紹介します。多数のin vitro(培養)研究では、脂肪由来幹細胞を癌細胞と一緒に培養すると癌細胞の増殖や移動能が高まることが報告されています[2]。例えば乳がん細胞に脂肪幹細胞由来の条件培養液を加えると、がん細胞の増殖率や浸潤能力が上がったという結果があります[2]。
動物実験でも、マウスの体内にヒトのがん細胞と脂肪幹細胞を同時に移植すると、腫瘍が大きく成長したり転移が促進されたりするケースが報告されています[2]。前述したHGF/c-Met経路の研究(乳がんモデル)では、脂肪幹細胞がいることで腫瘍がより多血管で大きな塊になったり、癌細胞が「幹細胞様(がん幹細胞化)」になり治療抵抗性が増す可能性も指摘されています[15][16]。
興味深いのは、脂肪幹細胞にも種類や性質の違いがあり、その違いが癌への影響を変える可能性がある点です。例えば脂肪幹細胞の表面マーカーの一つCD34についての研究では、CD34というマーカーを持つ亜集団の脂肪幹細胞は増殖因子の分泌量が多く、腫瘍をより促進したというデータがあります[21]。
CD34陽性の脂肪幹細胞を含めてがん細胞と共に移植したマウスでは、腫瘍がより速く成長し、転移もしやすくなったと報告されています[21]。一方、CD34陰性の脂肪幹細胞ではそうした促進効果が弱かったとも言われており、脂肪幹細胞といえど一様ではないことが示唆されます[21]。
逆に、癌抑制的な結果もいくつか報告されています。ある研究では、脂肪幹細胞を癌細胞に添加するとがん細胞の増殖が抑えられたり、幹細胞が分泌する物質が癌細胞のアポトーシス(プログラム細胞死)を誘導したケースもあります[11]。
さらに放射線治療と併用した実験では、脂肪由来MSCが肝臓がんモデルで放射線の効果を高め、腫瘍の縮小と転移抑制に寄与したとの報告もあります[22]。このように、幹細胞が出す物質が時に抗炎症・抗増殖環境を作り、癌細胞に不利に働く状況も考えられます。
総合すると、基礎研究の段階では「脂肪幹細胞は癌細胞に良くも悪くも影響し得る」という結論になります。ただし多くの研究者は、「脂肪幹細胞は単独では腫瘍を作らないが、癌細胞が存在する環境では腫瘍増悪を助けることが多い」と考えています[19][23]。このため、「正常組織では有用でも、癌組織や微小な残存癌には有害かもしれない」という前提で慎重に考えるべきだと示唆されています。

臨床研究・人でのデータ:脂肪幹細胞治療の安全性と効果
では、実際に人において脂肪幹細胞治療を行った場合、癌に対してどのような影響が報告されているでしょうか? 人間での臨床データは動物実験ほど豊富ではありませんが、主に美容外科や再建外科領域から安全性に関する報告が蓄積しています。特に参考になるのが乳がん術後の脂肪注入に関する研究です。
乳房再建のために脂肪組織を移植(脂肪注入)すると、その脂肪中に含まれる脂肪幹細胞が微小ながんの再発に影響するのではと懸念され、世界中で多数の追跡調査が行われました[2]。結果を端的に言うと、現在までの臨床研究では脂肪注入による再発リスクの有意な上昇は認められていません[24][25]。以下、具体的なエビデンスを挙げます。
- 大規模メタアナリシスの結果(2018年): 乳がん手術後に脂肪注入(脂肪由来幹細胞を含む)を行った患者と行わなかった患者の再発率を比較した複数研究の統合解析によれば、脂肪注入を受けたことで癌の局所再発や生存率に悪影響はみられなかったと結論づけられています[24]。例えばイギリスの外科雑誌に掲載されたメタ分析では、「自家脂肪移植(AFT)は安全であり、乳がん患者の予後(生存率・無再発生存期間)に影響を与えない」と報告されています[24]。このような高水準のエビデンスは、脂肪幹細胞治療のオンコロジカル(腫瘍学的)な安全性を裏付けています。
- 乳房再建患者587人を平均5年間追跡した研究(2018年, JAMA Surgery誌): オランダのグループが発表した観察研究では、脂肪注入で再建を行った乳がん患者287人と、インプラントなど従来法で再建した300人を平均5年(最大9年)以上フォローし、再発率を比較しました[26][27]。結果は、脂肪注入群で再発した人は8人、従来法群では11人と僅差であり統計的有意差はありませんでした[28]。この研究は症例数が比較的多く長期経過を見ているため、「少なくとも5年程度のスパンでは脂肪幹細胞を含む脂肪注入によって再発リスクが上がるエビデンスは見当たらない」と言えます[26][28]。
- 細胞添加脂肪移植(CAL)と通常の脂肪移植の比較試験: 脂肪移植に培養した脂肪幹細胞を追加するCAL法と、従来の純粋脂肪のみの移植を比較した臨床研究も行われています。イタリアのGentileらの研究では、乳房再建患者にCAL法を行った群と従来法群の経過を追い、5年間の局所再発率に差はないことが示されました[29][30]。つまり「脂肪幹細胞を“余分に”足した場合でも、少なくとも中期的には安全性に問題はみられなかった」という報告です[29]。また、日本などで行われた別の試験でも、CAL法による乳房のボリューム維持効果は確認されつつも1年間の追跡で再発は増えなかったとの結果が出ており、安全性を支持しています[31]。
- 放射線治療後の患者に対するCAL法の安全性(2023年の系統的レビュー): 放射線後の瘢痕組織改善目的でCAL法を用いたケースに関する最新のレビュー研究では、複数の研究を精査した結果「放射線を受けた乳がん患者においても、CAL法は再発リスクを増やさず安全であった」と結論づけられています[25][32]。ただし脂肪の定着率は放射線未照射の組織に比べ低い傾向があり、今後さらなる研究が必要とされています[25][32]。
以上のように、人での臨床データは概ね「脂肪幹細胞治療(脂肪注入を含む)は短期〜中期的には癌再発を顕著に増やす証拠はない」という方向で一致しています[24][25]。
これは癌サバイバーや主治医にとって一つの安心材料と言えるでしょう。実際、欧米では「過去にがんを経験した患者でも、一定期間寛解が続いていれば脂肪由来幹細胞を用いた再生医療を行って差し支えない」というコンセンサスが生まれつつあります[33]。例えば再生医療の総説では「議論はあるものの、現在までの臨床試験でADSC(脂肪由来幹細胞)が癌の再発リスクを増やしたとの報告はない」と明記されています[33]。
一方で注意点もあります。上記の多くの研究は乳房への局所的な脂肪注入であり、点滴などで全身に幹細胞を投与したケースはデータが限られるということです。局所注入の場合、移植された幹細胞はその部位に留まりますが、点滴で幹細胞を全身投与すると、どこに分布するか完全には把握できません。
理論上、体内に散らばった幹細胞が思わぬ部位の微小ながんに作用する可能性も否定できず、この点については「長期的な追跡がまだ必要」とされています[34]。また、乳房以外の臓器のがん(例えば肝臓がん術後の幹細胞治療など)についてはほとんどエビデンスが無いのが現状です。したがって、現在得られている安全性データは主に乳がん領域に限られることを理解しておく必要があります。

がんサバイバーはいつ幹細胞治療を受けるべきか?
がんサバイバー(がんの治療を完遂し寛解に至った方)が自己脂肪由来幹細胞治療を受ける適切な時期については、明確なガイドラインこそ無いものの、多くの医師は十分な経過観察期間を置くことを推奨しています。
一般的に、がん治療後の再発は「術後2〜3年以内」に起こることが多く、5年を過ぎるとリスクが大きく減少するといわれます(例えば、乳がんのサブタイプではトリプルネガティブ乳がんは術後3年以内の再発が多いなど[35])。そのため臨床的には、「最低でも2〜3年、可能なら5年の無再発期間」を経てから幹細胞治療など新たな介入を検討するのが無難と考えられています。5年間再発がなければ「治癒した」とみなすことが多い点も、この目安の根拠です。
実際、前述した脂肪注入による乳房再建の臨床研究でも、初回の乳がん手術から平均2〜3年後に脂肪幹細胞治療(脂肪移植)が行われているケースが多く見られます[36]。この期間に脂肪移植をしても再発率に差が出なかったという結果は、一定の安心材料ですが、念のため多くの施設では「治療終了後少なくとも数年間は経過を見守る」という方針を取っています。
特に、術後間もない時期は微小転移などが残っている可能性もあるため、組織を刺激しかねない幹細胞治療は避け、経過観察と標準的なサーベイランス(定期検査)に専念する方が安全です。
具体的な推奨例として、ある再生医療クリニックでは「がんサバイバーの方への自己幹細胞治療は寛解5年以上経過してから提供する」ポリシーを設けています(※公式ガイドラインではなく、安全策としての自主基準)。
また学術的にも「過去のがんから5年以上無再発なら、幹細胞治療による再発刺激の可能性は極めて低い」との意見が見られます[29]。このため、がんサバイバーの読者の方が幹細胞治療を検討される場合は、主治医と相談の上で現在の状態を慎重に評価し、必要なら寛解後数年の猶予を置いてから実施することを強くおすすめします。
もちろん、再発リスクの高さはがんの種類やステージ、分子サブタイプによって異なります。例えば進行期に治療した患者さんや生物学的に悪性度の高いがん(グレードが高いものなど)は、寛解後5年を超えても油断できない場合があります。一方で上皮内癌のように極めて早期に根治したケースでは、比較的早い段階で再生医療を考慮しても良いこともあるでしょう。「何年待つべきか」の答えは一律ではないため、個々のケースで専門医とリスク評価を行い、納得した上で治療開始時期を決めることが大切です。
体力低下した患者や末期癌患者への幹細胞治療は可能か
抗がん剤治療や放射線治療を経たがんサバイバーの方は、治療の副作用などで体力や臓器機能が低下している場合があります。そのような状況で、自己脂肪由来幹細胞治療は体力回復やQOL(生活の質)向上に役立つのでしょうか? そして、進行した癌を抱える患者(担癌患者)であっても幹細胞治療を受ける意義はあるのでしょうか?
まず、がん治療後の体力低下に対して幹細胞治療が直接的な「栄養ドリンク」になるという明確な証拠はありません。ただ、脂肪幹細胞が有する組織修復促進や抗炎症作用が、治療で傷んだ正常組織の回復を助け、全身状態を改善する可能性は考えられます[6][10]。
例えば、幹細胞治療を行ったがんサバイバーの患者さんで「全身の倦怠感が軽くなった」「末梢神経障害が和らいだ」といった声が報告ベースで聞かれることもあります(これは科学的検証というより経験的なエピソードです)。医学的にも、脂肪幹細胞が損傷した神経を保護・再生することで痛みやしびれを軽減したり[13]、炎症性サイトカインを減少させることで慢性炎症状態を改善したりするメカニズムが提案されています[10][13]。したがって、副作用で疲弊した組織に対する“メンテナンス療法”として幹細胞治療を応用することは理論上はあり得ます。
一方、末期のがん患者さん(進行がんで癌性疼痛などがある方)に幹細胞治療を行うケースについては賛否があります。治癒目的ではなく緩和ケアの一環として、「幹細胞治療で痛みや炎症を和らげ、QOLを向上させたい」という考え方です。実際、動物モデルや基礎的な研究では、MSC(脂肪幹細胞を含む間葉系幹細胞)の投与が神経の栄養サポートや抗炎症作用を通じて痛みを軽減する効果を示すものがあります[10][13]。
幹細胞は体内で小さな薬剤ポンプのように鎮痛物質を出すとも表現されており[37]、これはモルヒネなどとは異なる新しい痛み緩和手段となる可能性があります[13]。特に癌性疼痛は炎症や神経損傷が関与する複雑な痛みなので、幹細胞治療によって神経保護と抗炎症の二方面から痛みを和らげる試みが注目されているのです[13][38]。
しかし、末期患者への幹細胞治療には注意すべきポイントもあります。まず、幹細胞治療自体が根治療法ではなく対症療法的な位置づけであるため、過度な期待は禁物です。痛みや症状が多少和らいでも、癌そのものの進行を変えられるわけではありません。また、進行癌の場合は体内に多数の腫瘍細胞が存在するため、幹細胞がそれらと相互作用して腫瘍の勢いをさらに増してしまうリスクも理論上はあります[18]。
もっとも、末期の状況では「多少リスクがあっても苦痛軽減を優先したい」という判断もあり得ます。医療倫理の観点では患者本人が十分理解し希望するのであれば、QOL目的の幹細胞治療を検討する余地はあるでしょう。
まとめると、抗がん治療後の体力回復を目的とした幹細胞治療は、安全性に留意しながら慎重に行えばポジティブな効果を得られる可能性があります。ただし、それが癌に対する治療効果ではないことを理解する必要があります。また末期癌の疼痛緩和に関しては、現時点ではエビデンスが限定的ですが、将来的にMSCを使った痛み治療が確立されれば一つの選択肢となり得ます[10][38]。いずれの場合も、患者さんの全身状態や予後を総合的に判断し、緩和医療チームや主治医と十分に話し合った上で検討することが大切です。
よくある質問(Q&A)
Q1. がん経験者が幹細胞治療を受けるとき、どの診療科にまず相談すべきですか?
A. まずは過去に治療を受けた主治医(腫瘍内科・外科・放射線科など)に相談し、現在の再発リスク評価を確認することが重要です。その上で、再生医療を扱うクリニックの医師と情報共有し、両者が連携できる体制を選びましょう。
Q2. 無再発期間を確認するにはどんな検査が必要ですか?
A. 腫瘍マーカー(CEA・CA15-3など)やPET-CT、MRIなどの画像検査で再発がないことを確認します。検査間隔が6か月以上空いている場合は、再生医療前に最新検査を受けるのが望ましいです。
Q3. 幹細胞治療を受けたあと、がんのフォローアップはどれくらい続けるべきですか?
A. 幹細胞治療後も少なくとも年1回の画像検査と血液検査を継続してください。治療による再発増加の報告はありませんが、体調変化を早期に把握できる体制が理想です。
Q4. 他の再生医療(PRP・エクソソーム点滴など)と比べた脂肪幹細胞治療の位置づけは?
A. 脂肪幹細胞は“生きた細胞を移植して修復を促す”のに対し、PRPやエクソソームは“細胞が分泌する再生因子のみを利用”します。より強い再生力を狙う場合は脂肪幹細胞、がん既往で慎重に行いたい場合は上清液療法が選ばれる傾向です。
Q5. 幹細胞を採取する際に、がん細胞が混入するリスクはありますか?
A. 自己脂肪採取は原則として腫瘍のない部位(腹部・大腿)から行うため、混入リスクは極めて低いです。採取時は必ず画像や触診で腫瘍のない部位を確認し、CPC(細胞加工施設)で無菌処理・品質検査を行うことで安全性が保たれます。
Q6. 幹細胞を投与する際、がんの再発が起こらないかを事前に確認できますか?
A. 投与前に「再発リスクスクリーニング」を行うことが重要です。血液検査・腫瘍マーカー・炎症指標(CRP・IL-6など)を確認し、炎症が高い場合や免疫抑制状態がある場合は延期します。
Q7. 抗がん剤やホルモン治療を継続している場合、幹細胞治療は可能ですか?
A. 投薬中でも可能な場合はありますが、薬剤の種類によっては幹細胞の生着率が下がることがあります。特に免疫抑制剤や分子標的薬を使用中の方は、主治医と連携して治療間隔を調整することが推奨されます。
Q8. 再発防止目的で、幹細胞上清液(エクソソーム)のみを行うのは有効ですか?
A. 理論的には、上清液には抗炎症・免疫調整因子が含まれ、腫瘍微小環境を整える可能性があります。安全性も高いため、体力回復や炎症コントロールを目的に選択されることがありますが、抗腫瘍効果を保証するものではありません。
Q9. 幹細胞治療後にサプリメントや栄養療法で補うと良いものはありますか?
A. 抗酸化作用のあるビタミンC・E、オメガ3脂肪酸、ポリフェノールなどが細胞の炎症抑制を助けるとされています。がんサバイバーの場合は高用量サプリを避け、食事中心で摂取するのが安全です。
Q10. 再発が怖くて踏み切れない場合、どう判断すればいいですか?
A. 「絶対安全」と断言できる治療はありませんが、臨床的には中期経過で再発増加は報告されていません。どうしても不安がある場合は、まず上清液療法やPRPなど細胞を含まない再生医療から始め、主治医と連携しながら段階的に判断すると安心です。
まとめ:脂肪幹細胞治療と癌の関係
自己脂肪由来幹細胞治療と癌の関係について、現在わかっていることをポイントごとに整理します。
- 脂肪幹細胞の基本: 自分の脂肪から取った幹細胞を使う再生医療で、組織の再生や修復、免疫調節に役立つ。一方でその作用は癌細胞にも影響を与えうる。
- 癌に効く可能性: 幹細胞が分泌する物質が癌細胞の増殖を抑えたり、アポトーシスを促進するという基礎研究がある。また幹細胞を遺伝子治療のベクター(運び屋)に利用し、腫瘍縮小に成功した例もある。抗炎症・組織修復作用で副作用からの回復を助け、結果的に抗癌治療をサポートする可能性も期待される。
- 癌を促進する可能性: 多くの研究が示唆するように、脂肪幹細胞は成長因子(例: HGF)やサイトカインを分泌して癌の微小環境を整え、血管新生や転移を促すリスクがある[15][16]。また免疫抑制作用で癌の免疫監視を逃れさせ、幹細胞自体が腫瘍のストローマ(支持組織)となって癌細胞を助ける可能性も報告されている[18]。脂肪幹細胞そのものは腫瘍化しにくいが、「残存がん細胞を刺激するリスク」は看過できない。
- 基礎研究から: 「幹細胞は単独では癌化しないが、癌細胞と一緒だとその振る舞いを悪化させることが多い」というのが概ねの結論。とはいえ条件次第で幹細胞が抗腫瘍的に働くケースもあり、結果は一様ではない。総じて、癌細胞がいる状況ではリスク注意という見解が主流。
- 臨床研究から: 脂肪注入による乳房再建など人でのデータでは、おおむね安全性が確認されている。[24][25]多数の研究で脂肪幹細胞を用いた処置を行っても再発率は上昇せず、生存期間などにも差がないと報告されている。特に5年前後の追跡調査では幹細胞治療群と対照群で再発例に有意差がない[26][28]。ただし全身投与のデータは少なく、長期的影響はさらに観察が必要。
- がんサバイバーへの提言: 幹細胞治療を希望する場合、治療終了後しばらく経ってから(目安として5年程度無再発で経過)行う方が安心材料が多い。再発高リスクの期間を避け、安全側に倒す判断が推奨される。実際に5年追跡のデータで問題がないことが示されているが、それでも主治医と相談の上で適切なタイミングを見極めること。
- 体力改善・緩和目的: 抗癌治療後の組織修復や症状緩和に幹細胞治療を用いるのは理論上有望だが、これ自体が癌を治すわけではない。末期患者の疼痛緩和への応用は研究段階だが、MSCが痛みを和らげる可能性を示す報告があり今後の発展が期待される[10][38]。いずれもリスクとベネフィットを考慮し、慎重な適応判断が求められる。
結論: 自己脂肪由来幹細胞治療は諸刃の剣であり、現時点のエビデンスでは「適切に慎重に用いれば概ね安全だが、ケースによっては癌促進の可能性も否定できない」というのが真実に近いでしょう。幸い、これまでの臨床データは前向きで、脂肪幹細胞治療が即座に再発を引き起こすような悲観的結果は出ていません[24][25]。
特に十分ながん経過観察期間を経たサバイバーにとっては、有用な再生医療のオプションとなり得ます。ただし、新しい治療法ゆえに未知の部分も残ります。患者さん一人ひとりの状況に合わせて専門医と相談し、メリットとリスクを天秤にかけた上で適切に利用することが大切です。再生医療とがん治療の調和が進み、がんサバイバーの方々が安心して幹細胞治療の恩恵を享受できる未来に期待しましょう。
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[36] Effect of Total Breast Reconstruction With Autologous Fat Transfer …
https://www.researchgate.net/publication/368917200_Effect_of_Total_Breast_Reconstruction_With_Autologous_Fat_Transfer_Using_an_Expansion_Device_vs_Implants_on_Quality_of_Life_Among_Patients_With_Breast_Cancer_A_Randomized_Clinical_Trial